日記

合理的思考の大切さ

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今年もまた終戦記念日がやってきました。私は当然、戦争を知らない世代ですが、75年前のこの猛暑の時期に、広島と長崎に原爆が落とされ、終戦を迎えたということは、この刺すような暑さを通して、当時の苦しみに思いを馳せる気持ちになります。

きょうはちょっと趣向を変えて、なぜ日本は戦争に負けたのか、そしてそこにどんな教訓があるのかといったことを考えてみたいと思います。

20世紀前半の日本外交は失敗の連続だった

振り返って考えると、明治維新を経て、日本が近代国家に生まれ変わり、欧米列強と凌ぎを削ってきた20世紀前半の日本外交は、残念ながら失敗の連続だったと言えます。

開国してまもなく、20世紀初頭の日本の指導者たちが最も恐れていたことは、日本も中国、朝鮮のように、欧米列強の属国になってしまうのではないかということでした。

そのため、「やられる前に、やってしまえ」という調子で、アジア地域への拡大を図ったわけですが、そこに欠けていたのは、列強やアジア諸国のパワーとセンチメントを緻密に計算して行動するバランス感覚でした。

分かりやすく言えば、少し先を生きたドイツの宰相ビスマルクが、列強を巧みに天秤にかけながら、他国の野心をくじき、怒りを鎮めながら、新生ドイツの国益を拡大したときのような合理的、論理的思考に基づく絶妙なバランス感覚が欠けていたのです。

むしろ、当時の日本にあったのは、そうしたバランス・オブ・パワーを壊して、ドイツを破滅に導いたヴィルヘルム2世の非合理的な精神主義だったと言えるでしょう。

そのため、日本は中国、朝鮮に憎しみを買いながら植民地を拡張し、ロシアの怒りを買い、果てはイギリスと米国の逆鱗に触れて、太平洋戦争を招いてしまいました。周囲の不興を買って、自ら破滅を招いてしまったわけです。

当時の日本は鎖国を解いてから50年余りであり、外交の経験も乏しかったので、当時の指導者たちを責めるのは酷なのですが、結果的に日本が壊滅的な敗北を喫したことは事実で、当時の外交が失敗したことは事実です。

そして、失敗は誰でも犯すので、ここで大事なのは、失敗から何を学ぶかということになります。

そもそも失敗に学ぶ意思はあるか

最近、残念に感じるのは、いまの日本の指導者たちの間に、先の大戦を肯定するような懐古主義の人がいることです。

この問題の何が問題か、突き詰めて言うと、国粋主義とか右寄りとか、そういうことではなくて、当時の政策を支えた非合理的な精神主義を肯定する点が問題だと感じています。その根底にあるのは、根拠のない自己肯定感、自己至上主義です。簡単に言えば、国内外の膨大な犠牲に対する自省がないのです。

失敗論についての文献などでは、この非合理的な精神主義が、当時の日本の破滅を招いたということを指摘するだけでなく、これが今の日本社会の中にも息づいていることを指摘するものもあります。

日本企業に勤めていると、心当たりのある人もいるのではないでしょうか。

全てに通じる合理的思考

米国株をやっていると、日本経済、日本株に希望がないことを感じることがあります。

そして、なぜ日本経済、日本株に希望を感じないかということを突き詰めて考えると、労働人口の減少といった仕方のない問題もありますが、最終的には、日本社会に物事を論理的かつ系統立てて考える合理的思考、システム的思考が根付いていないという点に行き着くように感じています。

私は、日本企業と外資の両方に勤めた経験があるのですが、両者を比較すると、日本企業には、合理的思考、システム的思考が欠けていることを感じることがしばしばありました。

この合理的思考、システム的思考は、まさに第一次、第二次世界大戦の中で、米国を覇権国、超大国、戦勝国に一気に押し上げた価値理念そのものです。

米国株をやっていると、これが米国企業の多くにあり、日本企業にはないことを痛感します。そして、なぜ日本経済、日本株に希望を感じないかというと、これがもともと日本社会に欠落しているからだということに気が付かされます。

これは日本がダメで、米国が良いという話ではありません。非合理的な精神主義がダメで、合理的思考、システム的思考が良いという話です。終戦記念日に、こんなことを考えるのはちょっと辛いかもしれませんが、猛暑の中でそんなことを考えました。

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