対立の源流
米中冷戦は、表面的には経済競争に見えますが、本質的にはイデオロギー闘争です。その意味で、米ソ冷戦と性質が似ています。
米国と中国には、価値観の相違が底流にあり、その結果として、お互い友好関係を維持できなくなったという端緒があります。そして両国ともに、それぞれ経済活動を維持・拡大するために、自国の取引相手を拡張していく必要があったので、対立が徐々に陣取り合戦のような様相を呈するようになりました。
またこの戦いは、手を緩めると相手方のイデオロギーが自国に浸透してきて、内側から自国が相手の手に落ちる側面があるので、自国防衛の観点からも、いっさい手を緩めることができないシビアな側面があります。
ただ、両国ともに核保有国で、武力衝突できないという制約があるので、イデオロギー闘争が経済競争の枠に押し込められたまま、対立がエスカレートするようになりました。これが米中冷戦の実態です。
では、両国の間にどのような価値観の相違があるのかと言うと、米国が個人の基本的人権を最も重視するのに対し、中国は特定の集団の利権を最も重視するという相違があります。
米国の基本理念 ― 基本的人権の尊重
米国が、個人の基本的人権を重視すると言っても、米国は米国の国益を追求しているではないかという反論があるかもしれません。
しかし、米国の国益の最重要部分が、個人レベルで基本的人権を守るところにあるので、この二つは矛盾せず、互いに重なり合っているのです。
米国は世界のジャイアンのようなイメージがあるので、米国が人権を尊重する国だと言ってもピンと来ないかもしれません。
しかし、米国はもともと、欧州のいじめられっ子が北米大陸に逃げてきて作った国なので、人権の尊重が何より大事ということが国家のDNAに擦り込まれています。いわば米国にとって、人権の尊重は国是、金科玉条なのです。
そのため、人権を尊重しない国に対しては、徹底的に攻撃的になるところがあり、それで逆に米国が人権を軽視しているようなイメージができていることはあるかもしれません。
なお、米国には共和党と民主党という二大政党があり、両党ともこの理念を重視していますが、共和党の方が米国の理念と違う考え方に対して排他的で、民主党の方が宥和的です。
ただ、宥和的と言うと聞こえが良いですが、妥協した分だけ自分の理念を曲げなければならず、米国本来の理念との距離ができるので、事は単純ではありません。
中国の基本理念 ― 特定集団の利権護持
中国は特定の集団の利権を重視するわけですが、この背景には言うまでもなく共産主義の思想があります。
ただそれだけでなく、家族や親族の利益を一つのまとまりとして守る互助的な文化の影響もあると思います。つまり、政治思想以前に、集団の利益を重視する文化もあるということです。
この点は、共産主義革命を世界で最初に実現したソビエト連邦と違う点で、かえって中国の方が共産主義が定着する一因になったように思われます。ソ連には、集団の利益を第一にする文化はなかったのですが、中国には濃厚にあったということです。
そして、この家族や親族の集団的利益を第一にする価値観は、日本の家父長制度にも合い通じるところがあります。日本企業で、共産主義に警戒心を抱きながら、現代中国には警戒心がない会社があるのは、そのためかもしれません。
どちらを選択するのか ― 国家、企業、個人への問いかけ
そして、ここで問題になってくるのは、一方の理念を重視すると、他方の理念が損なわれるので、中間でバランスを取ることができないということです。いわば、この二つの理念は、互いにゼロサームゲームの関係にあるのです。
具体例として分かりやすいのは、香港の事例です。このケースは、特定の社会集団の利権を、個人の人権よりも重視すると、どうなるか分かりやすく示した事例の一つです。
そして、米中のイデオロギー闘争は、互いの正当性を主張するという次元を超えて、問題の性質上、互いの勢力圏を拡大する争いに発展してきています。
そのため、この問題は、世界各国、また企業レベル、個人レベルで、どちらの側につくのかという問いかけを突きつけています。中間に立とうとしている国や企業もいますが、やがてどちらに付くか、決断するときが来ます。
投資家の観点からは、利益が出る方に投資するという「二股」のスタンスがあっていいと思いますが、私たちが忘れてならないのは、いずれ時間の問題で、私たちが住む国、勤める会社も、どちらかの陣営に飲み込まれるということです。
そして、そうした色分けが終わった後も、自分と反対側の陣営に投資し続けるのかというのは考えどころです。私個人としては、それは自分の首を絞めることになるので、それはできないと考えています。